ニッセイグループの歴史
- 1970年
- 個人会社稲村ディップ創業稲村竹治と弟道雄でディップ成形の下請けとして綾瀬市上土棚319番地に10坪にて創業
- 1975年
- 有限会社稲村ディップを資本金300万円にて設立綾瀬市吉岡1657番地に70坪の工場を建てる
- 1980年
- 台湾国二水にイーファー有限公司を設立台湾人主導の技術供与の会社を興すがうまく行かず1年後に閉鎖
- 1983年
- 有限会社稲村ディップを資本金800万円に増資藤沢市用田475番地に3階建ての工場を建てる1986年に16年間お世話になった親会社が、当社の成長に危機感を抱き、仕事量を激減させられた経緯から、取引を辞めることを決心し、円満とはいかなかったが、話し合いの結果2ヵ月後に終了することになった。一連の問題を解決するため、稲村竹治は代表権を稲村道雄に譲り、自らは貿易業務を行うニッセイトレーディングを立ち上げた。現在は、当時のわだかまりはなくなり、友好関係を維持している。しかしながら同業である手前、互いの競争心はあり、適度の緊張感が保たれている。
- 1986年
- タイ国バンコック市内にニッセイトレーディングタイランド設立ディップ成形を6ヶ月習いに来て、独立、当初はスクンビットにて66平米当初休業状態であったタイの会社に当社の仕事を導入し、起動に乗せた。4年後には1300平米の土地に1650平米の2階建て工場を建て、螺子製造の水木製作所を誘い、業容を拡大させた。当初は資金不足であったため、竹治の家を抵当に協和銀行から4000万円の融資を受け建設した。返済は大変難儀で、原材料の支払いも遅れる状態で初期は大変苦労した。
- 1986年
- 稲村道雄が社長に就任
- 兄竹治がニッセイトレーディング・ジャパンを設立し、社長に就任
- 1987年
- 有限会社ニッセイ山形を設立
- 1994年
- 上海に上海日成遡膠有限公司設立2011年に移転し、日本の管理から中国管理にシフトするため、責任者を中国人に指名し管理を任せる
- 1998年
- 那須にある大明電装を傘下に入る当時は脱塩ビが社会問題化され(ダイオキシン、環境ホルモンなど)当社はディっピングが総生産で90%であったが、それに変わる事業として、塩化ビニルチューブの代替品として注目されていたコルゲートチューブの製造業を探していた。おりしも、経営状況が逼迫していた大明電装と取引が始まったことにより、強調体制を敷き、1年がかりで当社に合流した。その後、コルゲートマシンの製造から金型、周辺機器の製造に移り、10年間で5倍の成長をする。
- 1999年
- 株式会社稲村ディップからニッセイエコに社名変更環境に配慮した製品に置き換えることを目標に掲げ、意識改革を図る
- 2002年
- 天津に工場進出天津工場は稼動まもなく、サーズの影響で半年閉鎖したが、うまく軌道にのらず、4年後に閉鎖し、再度2008年に再稼動したが結局2012年尖閣の問題にて受注が激減したことにより、閉鎖
- 2003年
- 恵州に恵州市日成遡膠有限公司を設立
- 2004年
- ベトナム・ハイフォン工業団地にニッセイエコベトナムを設立2012年にニッセイエコベトナムホーチミン工場を第二工場の位置づけとする
- 2012年
- インドネシア・スルヤチプタ工業団地にニッセイエコインドネシアを設立
- ベトナム第二工場をホーチミンに建設稼動